バンダアチェ 津波博物館
バンダアチェにははじめ泊まるつもりはなくて、津波博物館を見たらそのまま空港に行って空港で寝て早朝の便でジャカルタに行こうと思っていました。
しかしどうでしょう。一時間半で着くと言われた遅い船はなんと2時間半ほどかかり、津波博物館は閉まってしまいました(´;ω;`)
仕方ない。ここまで来たら泊まって明日ゆっくり見に行こう。
ベチャのおじさんに紹介してもらって安宿へ。
別にきれいなわけではないけど、むしろ汚いほうだけど、ウェ島のあの宿を思えばこんなの余裕です。
次の日、津波博物館へ。
ここバンダアチェは2004年のスマトラ沖地震で大津波に襲われ22万人もの死者・行方不明者が出た大災害があった。
今は道路も建物もすべてあたらしくなりそんな大津波で流された街には見えないけど、ほとんどの人が家族や友人を亡くしている。
この津波博物館は当時の写真やどうのようにしてここまで復興したかが見れる。
だけでなく、津波の仕組みや、逃げ方など防災意識を高めるための施設にもなっており、観光客よりも地元の人が多くみられた。わたしの場合は日曜に行ったから尚更かな。
津波前の地震では一部の建物が崩壊しただけで、そこまで被害は大きくなかったそうだが、その後の津波はなんと10メートルを超え、ほぼすべての建物を根こそぎ流してしまった。
どれほどおそろしかったことか、、、
そして資料をみて進んでいくと、突然日本の和歌山県の世界遺産登録アピールのパネルが現れた。
なぜここに?
もう少し先を見てみると、和歌山県に伝わる「稲むらの火」という日本のお話が。
これは1854年に和歌山県で起こった安政南海地震の際に濱口儀兵衛という人物が、収穫後の稲むらに火を放って、たくさんの村人たちを津波から救ったという本当にあったお話。
このお話の教訓を受け継ぎ和歌山県には「稲むらの火の館」という施設があり、ここスマトラの津波博物館と協力協定を結んでいるそう。
そのため日本のパネルコーナーがあったのだ。
稲むらの火の再現VTRも日本語にインドネシア語の字幕つきで流れていた。
英語しかわからない観光客はスルーしてたけど。
地震大国のインドネシアと日本。災害が多い地域同士、情報共有をして防災意識をお互いに高めていけたらいいなと思いました。
このあとホテルのおじさんがなぜかすごく優しくて、飛行機のチケット取るのに旅行代理店に連れていってくれたり、観光案内もしてくれました。
その中で津波が起こった時の様子とかを詳しく教えてくれました。
まず、わたしが止まっていたホテルも津波にのまれた場所。だからできたのはここ最近。
(だからといってキレイではない。)
すぐ近くには海から流され来た船がドーンとそのままになっている。ボートではない。船。
すごいでかい。
また、流された範囲に田んぼもたくさんあるが、当時はすべて塩水になってしまい、津波から4年間は稲が作れなかったそう。
そして、もともとあった建物の中で流されなかった建物は数件だけ。ひとつはモスク。
そのほかはほとんど日本が建てた建物だそうだ。
日本の建築技術はすごいってほめてたよ!
確かに、、、耐震構造でいえば、このあたりの家は一瞬で倒壊しそうだ。津波後の建物のなのに、、、
まぁでもね、インドネシアだからね、日本みたいな技術で全部の建物を立て直すとはならないよね。
こうして色々教えてもらってから街を歩くと、ここにいる人たちもみんな、大切な誰かを亡くしたけどみんなで協力してここまで頑張ってきたんだな、と思うとなんだか胸が熱くなった。
ただ、津波博物館にはお土産屋さんがあるんだけど、
「TSUNAMI MUSIUM」とか「TSUNAMI 2014.12.26」ってプリントしたTシャツとかキーホルダーを売ってて、それはどうなんだろうな~と思いました。
欲しくないでしょ誰も。そこで商売しなくてもいいだろうに、、、と
お国柄が出ます。
わたしはまだ東北の被災地には行ったことがありません。
テレビとネットで報道されていることしか見ていない。
本当の本当にあったことをこの目で見てはいません。
あんな小さい国のすぐ近くで起こったことなのに。
次日本に帰ったら、行ってこようと思います、東北。
自分の目で、自分の国で起こったことちゃんと見ておかなきゃなと思いました。
もう5年もたっちゃったけど。
こないだ呼んだ青山繁晴さんの「ぼくらの祖国」という本で当時の状況や福島第一原発でなにが起こったかなど初めてちゃんと知りました。
一度ちゃんと調べなきゃな、、、と思いながらも他人事だったんです。
ほんとはすぐそこで、現在進行形で起こっていることなのに。
今も復興の途中だというのに。
自分の国で起こったこと、そして自分の国の問題、ちゃんと後回しにせず勉強して、日本人がどうやってこの危機を乗り越えたのか、海外で聞かれたときに話せるように、子どもができたときに説明してあげれるようにならないといけないなと思った。
今も避難生活を送っている被災地の方々。
彼らにとって震災は終わっていない。まだその中にいて、それでも必至に生きている彼らを私たちが応援してあげなくてどうするんだ。
災害の国だからこそ、なにかの時はより一層強く団結して、みんなで同じ方向を向いて励ましあい助け合うのが必要なんだと強く思ったアチェ観光でした。
ほんと日本ていろんな意味で本当に特殊!
おもしろいぐらい個性が強いし、世界に類をみない国だなーと思います。
もっともっと自分の国のこと知りたいし、本当の姿を知らなきゃいけないんだなって、最近は本に感化されて思っています。
ウェ島 (パラウェ)
ウェ島での宿は、オススメされたところがちょっと高かったので、安いところがいいなだマンマミーアに行くといいと言われて行ってみた。
このあたりはホテルは一軒もなくて、どこも高床式のバンガロー。
着くと“ママ”と呼ばれているおばあちゃんが主人らしく、なんだか良さげな人だったし、シャワーもあるってことだったからここに決めました。
しかしこれが失敗でした。。。
部屋は言い表せないほどボロボロ。シーツと枕カバーは一緒に変えたけど、なんともどうしやっても汚い。
こんな汚いところは初めてだったからちょっとヒッと思ったけど、こんなの序の口。
なんせトイレとシャワーが強烈だった、、、
こんなことならケチんないでもうすこしキレイなところにすれば良かったな、、、と部屋を見ずに決めたことを公開したけど時すでに遅し。
少し暗くなってから意を決してシャワー浴びました。
辛かったけど、、、なんとか、、、
でもこんなやばいところでもWi-Fiはあるんだよね~すごいなネット社会!
すぐ切れるし弱いけど無いよりいい!
ウェ島には2泊しかしない予定だから次の日はシュノーケリングしようと思ってレンタルもしたのに、まさかの夜から朝にかけて大雨、、、
もうこればっかりは仕方ないよね。
曇ってて寒いから海に入るのは諦めて、海を眺めながら読書する日にしました。
ボロボロのホテルで鶏と山羊と猫とヤモリと屋根裏になんとネズミのいる音もして、、、
最悪な宿で海にも入れず、私はなにしにここに来たのかとちょっと考えちゃったけど、そんなこと考えても仕方ない。
今回こなかったら一生踏むことのなかったかもしれない大地をまた一つ踏めたことだけでも貴重な体験だよね!
そう思おう!!
結局本だけ読んで一日が終わり、次の日はバンダアチェへ。
津波博物館をどうしても見ておいたほうがいい気がして。
またフェリーで戻ります!
トバ湖からウェ島へ。旅の反省。
トバ最終日、何度かホテルで会っていたコリアン男性と少し話した。わたし5泊もしたのに活動したのはモーターバイクを借りた一日だけ、、、ひたすらホテルに引きこもっていました。
話を聞くとこのコリアンも5か月の旅に出ているそうだが、トバ湖が気に入りすぎてもう1か月もいるのだとか。
彼は英語もわたしよりできないけど、とにかく出かけて人に会っている。
地元の友達もたくさんいて、お葬式や結婚式にまで呼ばれて楽しくて仕方ないと。
わたしが5泊もしたのにほとんどホテルに引きこもっているというと、
「信じられない!楽しいとことたくさんあるのに!
しかもここのゴハンはまずいのにずっとここで食べてるの?!」
と。
そうです、引きこもってブログ書いたりボーッとしたり本読んだりしていました、、、
「すぐそこにトバ湖で一番おいしいレストランがあるから、良かったら今晩行かない?」
とのことで一緒に夕食へ。
彼は毎日このレストランに来ているそうで、従業員は全員友達でした笑
おいしいからと勧められた魚の素揚げにチリソースのかかったインドネシア料理を頼んだけど、ちょっと泥臭くてあまり好きではなかったかな、、、ごめんね(´―`)
でもすごくおしゃれで久々にプラスチックじゃないお皿でごはん食べれてビールも飲めて満足!
従業員の人たちがみんなほんとにいい人で、仕事あとに紅茶を出してくれてみんなでおしゃべり。
日本大好きらしく、サッカーとかアニメとかあたしよりも詳しくてびっくり!
日本のAVも見てました笑
サモシール島にはクラブがあるらしく、コリアンは楽しすぎて毎週土曜は必ず行っていると。
しかも彼だけでなく、このあたりの住民は毎週土曜は必ず行くって言ってた。
もう1択でそこしか行かないそう。
そういえば先週の土曜日に「なんで行かないの!?」って言われたな、、、
そこのことだったのか、、、
おしゃべりの後もどっかに飲みにいこうって誘ってくれたけど、次の日朝6時の船だから、、、と遠慮しました。
あたしも随分つまらない人間になったものだ、、、
初めての長期旅行で英語もつたない彼だけど、ほんとに現地の人とからみまくってたくさん友達作って、どんどん自分の居場所を作っていっている。
だめだな私。自分の嫌なところ、受け身なところ!
自分から行かなきゃ楽しめるものも楽しめない!!
楽しそうなところいっぱいあったのに引きこもった5泊6日を猛省!!
自分から動いて、もっと楽しい刺激的な旅をしていかなきゃダメだなって。
なんのために来たんだか、、、
そんなことを思いながらお布団に入る前にストレッチ。
実はこないだのジャングルで軸足の左大腿前面に軽く肉離れを起こしていて、安静にして治るのを待って、これならジャングル行けるなーと思ってトバ湖を出ることに決めたのに、なんとこのストレッチで再度激痛。
痛すぎ。一瞬でこれは明日ジャングルは行けないと悟り、どこ行こうか考えて、あっさりジャングルやめてインドネシアのはじっこ、ウェ島に行くことにしました、、、トホホ、、、(´;ω;`)
次の日の朝、朝イチの船だったのにコリアンがわざわざ早起きして見送りに来てくれた!
彼もこのあとタイに行ってコムローイに参加するらしく、see you againです。
船をおりてメダンへ。渋滞がすごくて結局6時間くらいかかった、、、
メダンからウェ島の手前のバンダアチェまではバスで12時間、、、
でも12時間乗ったバスはやったらいいシートでおしりも痛くならず、モコモコの毛布も枕もあって寒くもなく本当に快適なバスでした。爆睡!
バスの運転手さんとかチケット係り?の人とかなぜかすごく優しくしてくれて茹でとうきびとかバナナチップスとかくれたんだよね、なんでだろ?笑
バスを降りたのは朝の6時!
まだ暗いのにバス降りた瞬間からタクシーとベチャの運ちゃんたちが大量にむらがり、ノーと言ってもずっとついてきます。
(´・ω・`)、、、
これすっっっごく嫌!すごい不快!
好きな人いないと思うけど、ほんとにしつこい!!一回ノーって言ったら引き下がってくれ、、、
一台のベチャを選んで港へ。
それにしても交通費がなんだかいまだに納得いかないくらい高いんだけど、、、
でもボラれてはいないようだ、、、
12時間乗ったバスが1700円で15分乗ったベチャが900円てどういうこと?
あたしやっぱりボラれてる??
もうわからない、、、
船に乗ってウェ島へ。そこからまたベチャに乗って目的のイボビーチへ。
観光客のほとんどはサバンってところに行くみたいだけど、人が多くて微妙ってコリアンが教えてくれたから、このイボビーチに来ました。
海キレーーーーーーー!!!!!水色!!エメラルドグリーン!!
トバ湖と違って少し暑いけど、確かに人が少なくてゆったりしてていいかんじ!
ひとりだからリゾート地は避けてたんだけど、たまにはいいかなって思ったよー
つづく
トバ湖 サモシール島
ブキッラワンにはもう少しいたかったけど、お目当てのラフレシアが時期じゃないとのことで残念だけど移動することに。
トレッキングで一緒だったみんなで歌って過ごしてすごく楽しかった!
ドラえもんはインドネシアでも大人気で「日本に帰ったらドラえもんによろしくって言っておいて!」って言われた。
ドラえもんの歌はインドネシア語になっていて♪ターケコプタ~のところは、
♪バランバランバンブ~
っていうんだって笑
ホテルのフロントでトバ湖に行きたいって言ったら車を予約してくれたんだけど、安いやつじゃなくて普通のスズキのワゴン車に私一人乗せられて、専用運転手つきというVIP待遇でした。たぶん高くついたんだろうけど、ジャングル後の疲れた体にはちょうどよかった!
トバ湖のParapat(パラパッ)という街まで行って、そこからフェリーでトバ湖の中の島のサモシール島まで行きました。ブキッラワンから7~8時間かかったかな~
途中にも村とすら呼べないような小さな集落があってジャングルトレッキングできるみたいでした。
誰かインドネシアのジャングルマップ作ってくれないか~
トバ湖はとにかくでかい!!!海みたい!!!
カナダの寒いところの湖とはまた違って、またきれい!!
世界で一番大きいカルデラ湖なんだって!何万年も前にあった超巨大噴火で人類の半分が死んだという説も、、、遠くグリーンランドの地層からもこの時の火山灰の地層が出ているそうな、、、そして地球の温度が下がってその後6000年も寒い時代が続いたとか、、、
地球こわれなくてよかったよかった。また何万年もあとに噴火するのだろうか、、、
また人類の半分は死んじゃうの?
おとなしくしていてほしいですね(´・ω・`)
ここサモシール島はかつてヒッピーの聖地だったようで、マリファナ天国だったそうだけど、今は規制が厳しくなっておおやけには使えないんだって。
でもなぜかマジックマッシュルームは規制がなくてホテルでも提供しています。
変なの(´・ω・`)
私は予約せず口コミのよかったBagus Bayというホテルへ。
観光客はあまりいないみたいでガラガラ。
ローシーズン価格でシングルルーム(トイレ・シャワー共同)で一泊日本円で400円程度でした。安い~。しかも部屋もシーツもキレイ!なんとインドネシアの安宿では珍しくホットシャワー出ます!サイコーすぎ!
ホテルの広い庭から湖が眺められて最高のロケーション。
ホテルのレストランのごはんもまずまず。
インドネシアのご飯好きだなー♡
あまりの居心地のよさにホテルにこもって湖みながらダラダラしています。
そしてたまった日記ブログを書いていました。
気温も避暑地といわれるだけあって最高30℃くらい、朝夜は日陰だとひんやりするかんじ。
札幌の夏みたいでとっても過ごしやすい!
欠点といえば外に蚊が多くて外でゴロつくとたくさん刺されることですかね。
そんな中、一日使ってサモシール島観光に行ってきました。
ホテルでモーターバイクレンタルが一日600円だったので(向かえの観光案内所では一日1000円だった)、レンタルして観光してきました。
軽く言っていますがわたしモーターバイクなんて運転したことないし、仕組みもまったく知りません。
知り合いから予備知識を伝授してもらい、ホテルで仲良くなった従業員のお兄ちゃんにも最初に15分ほどレクチャーしてもらい行ってきました!
おそろしいのがこのスクーター保険に入っていないから事故ったら修理代全額自己負担なんですね。
でもサモシール島は街の中みたいに車もバイクも多くないから大丈夫かなっと思って。
湖の景色は絶景だったし、風も気持ちよかったけど、すっごくこわくてもう乗らなくいいかなってかんじ笑
わたしは乗り物はやっぱり運転しないで乗っていたいね笑
おまけにノースリーブで直射日光の中80キロほど運転したから両腕がヤケド状態(´;ω;`)
痛い、かゆい、痛い、、、
長袖着るべきでしたね。
トバ湖周辺にはバタック族っていう民族が昔から住んでいて、今でもこのあたりに暮らしています。
バタック族の古い村にストーンチェアっていうのがあって、見に行きました。
バタック族、かつては他所から来た敵を殺して牛の肉と一緒に食べる人食民族だったそうな。
この石の椅子がキッチンになっていてそこで殺して調理していたそうです。
(日本語で説明したものが見つからず英語サイトを自分で解釈してるので間違ってるかも)
顔つきも今まで見たインドネシアンと少し違いました。
家は高床式で屋根は大きな船の形をしています。
そして彼らは今でもその家に住んでいます。ただし生活様式はもはや普通のインドネシアンと変わりません。
彼らの民族舞踊を見れるミュージアムとやらに行きまして、民族舞踊見てきました。
ちゃんと日本語で儀式の説明を書いた紙ももらえました。
ただ、資料館系好きな私は結構期待していってしまったためちょっとがっかり。
民族舞踊はまぁいいとして。踊り終わったらカゴみたいの置いてお金も求めるんですね。
なんかちょっと「ん?」って気持ちになりました。
だってここ、民族舞踊みて6帖くらいしかないボロボロの展示コーナーがあるだけで500円近くとるんだよ?うちのホテル一泊と同じ値段、、、ちょっと納得いかない。
民族の伝統を継承するのにお金かかってるんだろうか?と思ったけど、これだけのために毎日こんなに巻き上げるのはちょっとどうかなって思いました。
おもしろかったからいいけど←
そのあとはひたすらバイクを走らせて(常に40キロ走行)、温泉に行ってきました!
海外の温泉は初めて!
行く気なかったから水着持ってなく、やっちまったーと思ってたけど、持っていかなくて政界だった。
温泉は10メートルくらいのプールにちょろちょろと流れていて、すごい深くて砂やら枯れ葉やらでけっこう汚かった。
足湯だけしたけど、温度は完璧!!水足してるのかな?
でも足だけでも結構さっぱり♡
そしてわたし朝からなにも食べずにおやつの時間まで来ちゃって、(なんか途中で食べようと思ってたらロクに店がなかった)。
温泉に売店があって、そこで飲んだポカリが染みわたりすぎてやばかった。
そうしてホテルに迷いながらも無事故で帰還!
サモシール島の観光は一日だけでいいかな。
あとはひたすらホテルでのんびりゆーっくりするのがオススメ♡
この旅ではじめてこんなにゆっくりできたけど、こういう日もたまにはないとダメね!
は~癒された。次のとこ移動するのめんどくさくなってきちゃった←
バックパッカーはこうして沈没するんだな…と思いました。
さて、もう2泊延泊することにしたので、あさってにはまた移動です!
それまでゆったりします(´―`)
ブキッラワン ジャングルトレッキング②
崖ではないんだけど木の根っこをつけみながらよじ登ったり降りたり、、、何度も滑ってヒヤヒヤしながら、なんとか川に到着!
パンツまでズブ濡れだけど、汗だくだったからちょうど良かったかも(´―`)
そしてガイドのキキとアシスタントのビムラ。私たちのバックパックを二重にしたビニール袋に入れて自分たちの分と一緒に大雨の中ずっとかついでくれていたのです!
わたしは全部ジプロックに入れていたから大丈夫だよって言ったんだけど、大丈夫だから入れろって言ってかついでくれました。
私なんかは滑る道だから両手使って、時にはおしりつけて下ったりもしてたんだけど、二人は片手で荷物担いで足だけでスイスイ進んでいました。
なんという足腰の強さ!!!尊敬!!!やっぱりジャングル育ちは違う!
ほんとに頼れるガイドでした。
キャンプは大きなブキッラワンの村までつながっている川沿いでします。
他のツアー客たちもみんなそこ。
着いたら、別のアシスタントが先に来ていて木と木の間に張ったビニールの中に私たちのためのテントを建てて煮炊きをして待っていてくれました。
翌日はこの川をゴムチューブに乗って一気に村まで下っていくのですが、その巨大なゴムチューブも彼が運んできてくれていました。
毎日このジャングルを重たい荷物をもって上って下って、、、なんと過酷な仕事なのかと感謝しかありません。
私たちは川で洗濯をして乾いた服に着替えて夕飯まで熱い紅茶とビスケットをいただきながらくつろぎます。
そして夕飯はとても豪華!カレーにココナッツで煮込んだカレー、豆腐の炒め物、いも餅みたいの、辛い野菜炒めなど品数豊富!ごはんも炊き立てで本当においしかった!
石で作ったトイレもあるしなかなか贅沢なキャンプでした。
夕飯を食べたあとはみんなでおしゃべりしたりゲームしたり、、、
そんな中、ドイツ人のダニエルが2003年にこのあたりであった洪水について聞くと、キキが語りはじめました。
(2003年にまさに目の前を流れるこの川が氾濫してブキッラワンを含めた周囲の村が流されて百人を超える死者が出て、いまだに行方不明者もいる大変な洪水がありました。)
「当時はまだガイドの仕事はしていなかった。夜寝ようと思ったら外から逃げろー逃げろー!という声が聞こえた。外を見てみると住人たちが逃げている。びっくりして自分の実家まで向かうと家族みんなで家のものを屋根に上げているところだった。
はじめ突然のことに呆然として何もできなかったが、ふと、こんなことをしていてはみんな死んでしまう。と体が反応し、母親と下の兄弟たちを先に避難させた。父とともに荷物を屋根に上げていたが川はどんどん増水してついに氾濫した。このままでは自分たちも命をおとすと思い父と逃げたが、すぐに父とははぐれ、川に流された。なんとか小さな気につかまり洞窟に入ったが洞窟の中は大きなトゲだらけ(←なぜかはよくわからず)。足を何本もの針が突き抜けていたが、まだ小さい兄弟たちのことを思うとここで死ぬわけにはいかないと力が湧いた。
なんとか非難して周囲の村をまわり家族たちを探した。母親と兄弟たちは見つかったが、いとこや親戚はたくさん流されて命をおとした。父はそのときのショックで精神を病んで今でもそのまま。一言もしゃべらずただ生きている。洪水のあと、服もお金も食べるものもなにもなく飢えがやってきた。父親はもう働けないから自分が働かなければならない。どんな仕事でもかまわなかったが、仕事はなかった。このままでは一家で飢えてしまうと思っているところに、白人がやってきて、マレーシアとの国境付近の島で仕事がある。10人必要だ。来ないか、と。もちろん友達をさそって飛びついた。バスに乗せられ、その後船に乗せられた。バスに乗っている間は朝昼夕と食事が出た。しかし船に乗ったとたん、一食も与えられない。島につくと、プラスチックの板の上で寝ろといわれ、翌朝からは働けと言われた。食事も与えずにどうやって働けというんだ!と怒ると銃を持ってきて、いいから働けと言われた。逆らった者は殺されるところだった。
仕事は森林を伐採して新しく木を植えてプランテーションを作る仕事だった。ほとんど食事は与えられず、川の水を飲んで働いた。インドネシアは1週間ごとに給料が出るから、まずは一週間がんばった。お金さえもらえれば家族に仕送りができるから頑張ろうと思ったが給料は出なかった。そこにはもう何十年もそこで奴隷のように働いている人が何人もいた。なぜこんなことをずっとやっているのか?家族に会いたいとは思わないのか?と聞くと『もちろん会いたい。でももう自分はここから出られない。It’s my life』と言った。自分はこうはなりたくないと思って友達を集めて相談し、逃げることに決めた。夜中にキャンプを出て海沿いの街まで山を何個も超えていった。会社にあった米やタバコ、麺などの食料も盗んで。街についてから、隠れていると一人の老人が声をかけてきて事情を説明すると『うちに来い』とかくまってくれた。すると街に銃を持った会社の人たちがやってきて自分たちを探しに来た。老人はみんな家の中にバラバラに隠れろと言い、隠れた。老人の家にも銃を持った男がやってきた。プランテーションから逃げたやつらを探していると。老人は『見てないな、見たらすぐに知らせるよ』といい、家には入られずにすんだ。
そして夜なってから使っていない船を用意してくれて逃げることができた。老人がいなければ自分たちは確実に殺されていた。お礼の仕様がなく、せめても、と盗んできた米などをすべて置いてきた。
スマトラになんとか着いたがブキッラワンまで帰る方法がない。そうしていると中国系の男が声をかけてきて、『君たちなにがあったんだ、事情を話してみなさい』と言ってきたのでこれまでのことを話した。すると店でただで働け、そのかわりに一週間働いたらブキッラワンまでのバス代をやろう、と言って働かせてくれた。
こうして自分はブキッラワンに帰ってきた。それからも紙を作るためのチップをつくる工場で働いて肺の病気になったりしたが、なんとか今こうして生きているよ」
と長い長い話だったが、まるで映画を一本見たかのような、つい13年前のこととは思えない出来事を語ってくれた。
そしてさらに、
「そもそも洪水が起こったのは過剰な森林伐採が原因なんだ。ジャングルが壊される前はこんなことは起きなかった。俺は昔、軍人になりたかったが、そのための学校はとんでもなく高くて自分には入ることはできなかった。だから小学校5年生で学校に行くのをやめて父親と働いていた。学はないが、生きるのに必要なことはすべてジャングルが教えてくれた。俺にとっての先生はジャングルと経験なんだ。英語だってジャングルから学んだんだ(←?笑)。
俺はジャングルからたくさんの物をもらったからジャングルに恩返しがしたい。それにブキッラワンの村が大好きだ。この村は観光なしでは成り立たない。だからジャングルの保護と観光客の受け入れを同時にやらなければならない。
そのために俺が考えているのは観光客一人につき1本ずつ木を植えてもらうことなんだ。そうすれば木はまた増えて、木を植えた人の子供や孫も、おじいちゃんが植えた木を見にまたやってくる。だけど、今のブキッラワンのジャングルツアーはツアーだけを扱っている会社というのは無く、ウェブサイトもない。ホテルでガイドをやとっていて、みんな予約するところが無いからもちろんホテルで予約する。だからツアー内容もガイドによって、ホテルによってバラババラなんだ。俺が目指しているのはツアー専用の会社を作ってウェブサイトも立ち上げて、ジャングルツアーを包括的に行うこと。そうすれば観光客はウェブでブキッラワンの情報を得られて観光客も増えるだろう。そしてその人たちが木を植えればジャングルも生き返る。これが本当のエコだと思う。これが俺の夢なんだ」
と。「俺がそんなことをしたらホテルのやつらすごい怒ると思うけどね!ヌハハハハ!」
と最後は大笑いしていた。
なんという人生を歩んでいるのかこの人は。
先進国の私には考えられない人生を歩んでいる。この時代に奴隷なんてものがいるなんて思いもしなかった。
身を裂かれるような思いも、理不尽なことも、命の危機にも何度も遭遇しているのに、それでもなお心だけはくすまず、笑顔を絶やさず明るく夢を語る彼を応援したくない人間などいないのではないか。
聞いていたのが私とドイツ人カップルの3人しかいなかったけど、まるでTEDのスピーチを聞いたような、そんな気分だった。
なんとか彼の夢が実現してほしい。会って1日だけど彼の人間力に魅せられた。
彼はホテルに雇われるガイドになりたくなくて、フリーのガイドとのこと。
個人的にガイドを頼んでくる人はいないから(ウェブサイトもなにもないから)、ホテルでガイドが足りなくなったときだけ呼ばれるため、月に1回しか仕事が無いこともあるそう。
こんなステキなガイドなのにもったいない!ほかのガイドさんがどんな人たちなのかは知らないけど、私はキキにガイドをしてもらって本当にラッキーだし光栄だと思う。
ありがとう。絶対また行きます。
そして!なんと一緒だったドイツ人のマークの仕事がウェブクリエイターだった!!
「連絡先を教えて、協力するよ!」とのこと。
パソコンに関しては疎くてウェブサイトなんてとてもじゃないけど作れなかったんだ!とキキも喜んでいた。
もう少ししたら、ブキッラワンジャングルツアーのウェブサイトができているかも、、、
楽しみが増えた!
キキの夢を通してジャングルがこれ以上壊されないよう願うばかりです。
本当に素晴らしい経験でしたジャングルツアー!
ということでジャングルにはまった私。笑
また違うジャングルに行こうかと考えています(∩´∀`)∩
みなさんも一度はジャングルに行ってみよーう!!
ブキッラワン ジャングルトレッキング①
シンガポールからインドネシアはスマトラ島にあるメダンという街まで飛行機で来ました。
夕方だったためメダンに一泊。インドネシアの中でも4番目?に大きい街らしく、ゴミゴミしていて汚いし交通量も多く、治安もあまり良くないそうで、長居したくない場所でした。
翌日は朝からBukit Lawan(ブキッラワン)という村へローカルバスで移動。
エアコンなしのローカルバスなのに日本円にして1600円くらいとられました。
わたしはインドネシアのゼロが多すぎるお金の計算ができずボラれてるのかな、、、と思ったけど、宿のおばさんがローカルと観光客は値段が違うと言っていたので、そういうことかな、と思いそのままに。
次からはすべてメモ帳に書いて確認することにしました。
さて、ブキッラワンに到着して予約しておいたホテルへ。なぜかここのホテルだけ1泊700円と激安だったから心配したけど、働いている人もいい人ばかりだし部屋もシングルルームなのにダブルベッドでだいぶ居心地がよかったです。
翌日からジャングルトレッキングに参加することとなり、ホテルチェックイン時に同時に予約。
ツアーは日帰りから四泊五日まで選べます。私は体力に自信がなくてビビっていたので日帰りと迷いましたが、予定通り一泊二日にしました。
値段はすべて込みで日本円で1万円。結構しますね。
こっちに来る前に色んな方のインドネシアについてのブログを読みましたが、インドネシア物価上がったのかな?予想していたよりもすべてが高めに感じました。
翌日朝9時にホテル出発です!
持ち物はトイレットペーパー、水着、タオル、ヘッドライト、2日分の水(私は1.5リットル持ちました)、ビーサン(私の靴は水陸兼用なので持たず)、あとは夜間冷えるので防寒のなにかしら(もちろんダウン持ちました)、カッパ。以上。
その他、自分でモバイルバッテリーやら靴下など必要なものを濡れてもいいようにすべてジップロックに入れてバックパックに詰めて完了!
ガイドのキキ(本名iakop)とアシスタントのビムラ、ドイツ人カップルのダニエルとマークの5人で出発!
この北スマトラのあたりはジャングルだらけ。
私が行ったブキッラワンから行くジャングルはたくさんのオランウータンが生息している場所です。
ゴムの木のプランテーションを通り過ぎてジャングルの入り口へ。
ジャングルの中はもちろん道がありませんが、毎日ツアー客が同じルートを歩いているためなんとなく道ができています。
ただしアップダウンが激しく巨木の根っこが張り巡っていて、周囲の木をつかみながらよじ登ったり、よじ降りたり、、、土はオレンジ色の粘土っぽい土なので結構すべるし、熱帯雨林なだけあって木の根にもコケがむしていて滑りやすい!
注意深く一歩一歩進みます。
足を滑らせてゴロゴロ落ちると骨の数本折りそうなかんじ。
キキは「滑ったらジャングルスキーすることになるから気を付けろー!」と楽しそうに話します。
そして開始30分、もうはやオランウータンに遭遇!
お母さんと子供の親子です。お母さんはグデっと木の上で横になり、子どもがそのまわりで木から木へとスイスイ移りながら遊んでいます。
かなり目の前でみることができてほんとに感激!
でも野生なのにあまり人間を怖がっていないように見えます。
ジャングルはとてもとても広くて深い。奥のほうには人間の目にはふれることのないオランウータンやトラがいるそうです。
人間のいるあたりにいるオランウータンは、過去に人間に飼われていたのを保護されて連れてこられているので、人間慣れしているそう。
人間慣れしているオランウータンは人から餌ももらうし、物を盗んだりもします。
そしてジャングルの奥地にいるオランウータンは密林で暮らしているのであまり日の光を浴びないため暗い色の毛をしていて、人の近くまで来るオランウータンはより日光を浴びているので赤っぽい毛をしています。
その後も歩いているうちに何度もオランウータンには遭遇しました。
オランウータンだけでなく、その他の猿にもたくさん会いました。
ジャングルすごすぎ!!!
野生動物が動物園にいるかのうようにワラワラ出てきます!
時々、ガイドのキキが
「静かに!俺が先に行くけど、走れって言ったら走って逃げて!」
という場面がありました。
ミナ(過去に人間に虐待されて人間不信に陥っているオランウータン。有名らしい)のテリトリーに入るから、襲ってきたら走って逃げろとのこと。
いくら人間慣れしているといっても野生は野生。
あまり近づきすぎもよくありません。
そして見たオランウータンのほとんどが子連れのメス。
オスはどうしているのかというと、もっともっと高い木の上にいることが多いためあまり見れないとのこと。それでも2回見れたけど。
いろいろな動物を見るたびに、ゆっくり写真を撮る時間をくれて、オランウータンの生態についても教えてくれるキキ。
すごくすごくおもしろかった!!
そしてキキは色んな話を教ええてくれたけど、オラウータンの話をしている時が一番目は輝いている!笑
ジャングルとオランウータンが大好きなのが伝わってきます。
オランウータンが出てくるたびに、
「ウェルカム トゥー ジャンゴー!!!ヌハハハハ!!」と実に楽しそう。
ハリポタのダンブルドアが「ウェルカム トゥー ホグワーツ!」とおっしゃる時の貫禄にも似たものを感じました。
果物休憩でアシスタントが持ってきてくれていたバナナやランブータン、パッションフルーツを食べて、お昼には小川で休憩がてら結構量のあるナシゴレン、パイナップルをもらい、結構食べさせられます。笑
たくさん動くから大事なんだろうけど、アジア人の私にはなかなかな量でした。
なんせヨーロピアンだらけなんです。わたしが行ったのはローシーズンだったからそんなに混んでいなかったけど、私が見るかぎりアジア人はわたし一人。
キキは「ジャングルの中で食べるといつもよりたくさん食べられるんだぞー!!」と言っていました。
ほんとジャングル大好き人間です。笑
夕方までこんな感じで動物に会っては止まって写真をとり、時にはキキが餌付けして近くせオランウータンを見たりと、休み休みなのでそこまで体力は奪われず、「なーんだ、これなら2泊でも行けるなー」と思っていましたが、大きな間違いでした。
3時を過ぎたあたりからどっっっしゃぶりの雨!
目も開けられないほど!
そんな中、キャンプをする川まで1時間半ほど歩き続けるのですが、こればまぁ過酷だった、、、今となってはいい思い出だけどなかなかハードで危険でした。
でもキキは
「ウェルカム トゥ レインフォレスト!!ヌハハハハ!!」
と楽しそうだったので、なんだか元気が出て頑張れました。
彼は名ガイドです。
つづく。
シンガポール
シンガポールも初めての上陸!
陸路での入国だったけど、ホテルのWi-Fiが全然ダメで結局シンガポールを出る航空券と取らないままイミグレへ…
すごく心配したけど帰りのことは聞かれずすんなりは入れました。ホッ(´―`)
しかし、イミグレを通ったあとにバスに乗り込もうとしたらバスがいない。待てども待てども来ない。おかしい。
同じバスだったベトナム人とインドネシア人たちと途方にくれる。
なんて観光客に優しくないんだ。
結局来なかったのでローカルバスでシンガポールの市街地まで行きました。
一人じゃなくて良かった―(*´Д`)
シンガポールには一泊しかしない予定だったので、ホテルにチェックインしたあと、夜景を見に行きました!
地下鉄を降りたところでインド人がナンパしてきた。
どうやらシンガポールで仕事をていて何年も住んでいるとのこと。
ちょうど道がいまいちわからなかったから、案内してもらいました。
マーライオン、マリーナベイサンズ、ベイガーデン、カジノと自分じゃ絶対行けなかったところを案内してもらって満足満足♡
もちろん彼は今晩一緒に楽しもうぜとか言ってきたけど、眠い、具合悪い、日本に彼氏いるからと言って逃げ帰ってきました(´―`)
女一人旅なんて損することのほうが多いもん!たまには女利用させてもらいます( ゚Д゚)
もちろんここが治安のいいシンガポールだからできたことなんだけどね。
シンガポールはすっごいクリーンな街ってイメージで来たけど、まぁまぁってかんじかな!
確かにビッグシティーで高層ビルだらけだけど、中心部を離れたらまあ普通かなってかんじ。
日本なんてわざわざ法律作らなくてもキレイだぞ!←
翌日はマリーナベイガーデンを見て回りました。
超巨大な公園にたくさんのお花が咲いていてご機嫌です(´―`)
ガーデンの中にはキノコみたいな塔もあって近くで見たけど、なんだか胎盤みたいに網状血管広がってるようなデザインでちょっとキモいなと思いました。
あとはアラブストリート見てシンガポールの街はおわり!
やっぱりシティはあんまり見るものなくてつまらないなー(´―`)
そしてシンガポールといえば空港!
世界一の空港にも選ばれていてとってもキレイで居心地のいい空港なんだとか。
これは…空港泊するしかない!
と思って深夜めがけて空港へ。
空港に着いてから調べてわかったのですが、なんとこのチャンギ空港。居心地のいいのは出国審査後のエリアで出国前の一般エリアはそれほどでもないという悲劇!
私の飛行機はエアアジア。LCCですね。
チェックインは出発2時間前からしかカウンターが開きません(´;ω;`)
結局一般フロアのベンチで寝るハメに(´;ω;`)
でも体を横にして眠れるスペースを発見!
そして私、マラッカのユニクロで悩みに悩んでダウンをゲットしていたのですー(*´Д`)
寒ささえしのげれば無敵!
結局8時間くらい寝てました笑
出国審査後のスペースは噂通りめっちゃ広くてキレイ!快適!!
ここで寝たかった~(´;ω;`)
ラウンジも超キレイだしカレーがすごいおいしかった!